「よぉし、君はマルコビッチ!」
 レラプスは叫んだ。びしぃっと背後に効果音でも付きそなほど、伸ばした人差し指でしっかりと赤髪を指差して。
 その後、優男を指差して叫ぶ。
「そっちはマルコビッチ二号!」
 そう、高々に。
 只今、レラプスは憎むべき敵、アルビノの少女の追手”ニュオプレドデイ”の方々と対峙中である。
 ――――――マルコビッチ―――にごう――マルコビッチ―――マルコビッチ――にごう――――木霊する声が哀愁を漂わせる気がしなくもない。
「はぁ?!」
 赤髪が驚きの声を発した時には、既にマルコビッチ命名から三秒が経過。
「何事も名前がないと面倒なんだよ!」
 レラプスは固く拳を握り締めながら力説する。赤髪=マルコビッチ。優男=マルコビッチ二号。この方程式が今、レラプスの脳内で成り立った。
 眉間と額を痙攣させ、赤髪ことマルコビッチはうめく。
「一号二号ならつける意味がねぇじゃねぇかよ…名前訊きゃあイイ話だろうが!」
「大丈夫、どっちもマルコビッチって顔してるから!」
「どういう顔だ! ……じゃねぇ! おぃ、オマエも何か言ってやれよ」
 マルコビッチ命名を貫き通すレラプスに、ペースを狂わされた赤髪ことマルコビッチは、助けを求めるかのように優男ことマルコビッチ二号へ声をかける。レラプスの喉元へ、今にも飛び掛らんばかりであった剣の切っ先は、持ち主の心情を表すように、地面とレラプスの間で揺れていた。
 が、しかし、肝心の優男ことマルコビッチ二号は、
「私、が、マルコビッチ……? しかも、二号? 指名率と、暗記にかけては随一と……二号……まるで本妻と愛人のような…」
 壁に手をついて項垂れ、酷くお悩みの様子だ。トラウマがあるのかもしれない。
 優男ことマルコビッチ二号は、唖然とする赤髪ことマルコビッチに見守られながら己の賛美をぶつぶつと呟いていたが、やがて毅然とした様子で言った。
「改名を要求する!」
「アホかテメェはぁぁぁぁ!!」
 素早く激しく鈍い音のした的確な突っ込みという名の手刀だった。類稀なる名刀である。
「大体、名乗ればすむことだろーが。何で見ず知らずの餓鬼に命名されなきゃ」
 不意に、赤髪ことマルコビッチの言葉が止まった。苦々しく歯噛みをし、下を向いていた剣を持ち直すが、
「油断大敵」
 遅い。笑うレラプスの唇が音を紡ぐ。
 腰を屈め、体勢を低くしたレプラスが懐へ潜り込んだ。赤髪ことマルコビッチは震えたように見えた。
「チィ!」
 抜き身の剣が顎下に迫る。だが、それは所詮、悪あがきだ。この密着に近い状態で、剣はほとんど意味を成さない。振り抜かれた剣を軽くかわし、レラプスは赤髪ことマルコビッチの鳩尾へと拳を深く埋める。レラプスの拳から骨へ、痺れるように伝わる肉を叩く感触。肺を捕らえた。
 空気を求めてひゅう鳴る喉の音。赤髪ことマルコビッチから抜け落ちた剣が、カラァン、と地で震えた。狭い路地の中、反響する音は耳鳴りのよう。その音は、レラプスにとって、現実味がないものだった。どこか遠くで聞いているような気がする。
 剣が落ちた、という認識と記憶。
 拾って使える、または使われる、という思想の発展。
 次は。
 膝から崩れ落ちる赤髪ことマルコビッチから身を引き、レラプスは次なる標的へと顔を向ける。だが、そこに優男ことマルコビッチ二号の姿はない。がらん、と煉瓦の壁が連なるばかりだった。
 確認と同時、鋭い風斬り音と共に、真横から煌くものが迫る。ナイフだ。
 逃れるように真横へ跳ぶと、弧の軌道を描いたナイフが、レラプスの髪を数本攫って宙に舞わせた。
「へぇ、やるね」
 レラプスから、感嘆にも似た呟きが零れる。
 二歩で離れた間合いを、優男ことマルコビッチ二号は一歩で詰めてくる。詰めては突き、詰めながらナイフを引き付けては、手首を切り返し、逆方向から薙ぐ。体勢を立て直す暇を与えず、狙うのは的確な急所。鎌首をもたげた蛇のような。どこを突けば獲物が死ぬのか、染み付いている動きだ。
 神聖なものとされる法衣の合間にちらつく不敵な笑み。
「私が弱いように見えましたか? 油断大敵ですね」
 返事の変わりに、レラプスは金の眼を線のように細くする。弱いように見えていた。優男ことマルコビッチ二号の護衛を赤髪ことマルコビッチ一号が受け持っているのだろうと考えていた。それがどうだ、この人を殺すことに慣れた動きは。
 喉を反らせながら下がると、頚動脈すれすれをナイフが横切っていった。
「うん、本当。油断って怖いよな。僕に構って安心してると危ないよ」
「はい?」
 間抜けな顔の優男ことマルコビッチ二号。気が付いたらしい。優男ことマルコビッチ二号の背後に立つ気配に。
 優男ことマルコビッチ二号の背後には、気絶している少女を抱えたイルジィンが立っていた。何時の間にか回り込んでいたイルジィンは、男ことマルコビッチ二号の脳天へ、何の気兼ねも、微塵の容赦もなく、持っている少女を振り下ろした。
 触覚のような二本の三つ編みは、もう突っ込まないことにした。
「ごふ!」
 白目を剥く優男ことマルコビッチ二号。
「ぐ、まだ…私、は」
 何だかしぶとい優男ことマルコビッチ二号。
「無理せず寝とけよ」
 レラプスの鋭いチョップで撃沈する優男ことマルコビッチ二号。
 優男ことマルコビッチ二号は、ぴくぴくしながら、無事、大人しくなった。
「ふぅ、やれやれ。中々しぶとかったぜ。サンキュー」
 今日もいい仕事をしました的爽やかな顔で、レラプスはイルジィンへ振り返る。
 イルジィンは優男ことマルコビッチ二号には目もくれず、振り下ろした少女を担ぎ直していた。お姫様抱っこなら雰囲気もあろうものだが、文字通り荷物のように担いでいる。 残念なことに、色気もへったくれもなかった。
 少女はイルジィンの肩で、ぐったりと細い四肢を投げ出していた。少し力を入れてしまえば、折れそうなほど華奢な腕。瞳を閉じる幼い顔は、歳相応の無邪気なものでなく、苦悶しているようにさえみえる。
「何で気絶してるの?」
レラプスの問いかけに、イルジィンは事も無げに答えた。
「不穏な動きをしていたものでな、当身をしておいた。助力のチャンスに両腕が使えなかったゆえ、武器代わりに使ってしまったが」
「人の使い方が間違っていると思います」
「気にするな」
 気にするなって言ったって世の中には気になることと気にならないことと気にしなければならないことがあるわけでこれはどっちかというと気にしないとイルジィンは悪人面なのでそのうち爆破されたら足をばたつかせて宙を飛び何故か頭から落ちてくる○○戦隊××レンジャーあたりの五人組に目をつけられて子供の夢を壊さないためにもとか泣きつかれわざとやられなければならないような面倒なことになるんじゃないだろうか。
 と、全く関係のなく現実味もない考えが脳内を一瞬で駆け巡ったが、レラプスは気にしないことにした。
 最優先事項は、少女を確保すること。
 少女が逃げ出そうとしていたのなら、逃げないように処置をすることが優先事項。助力のチャンスがあったのなら、そのチャンスに動いたことも正しいのだ。
 動き方に問題があるとしても。
「……結果オーライ、ってことにしとくか」
 おおむね異存はなかった。少女から情報を引き出せる状態でありさえすれば良い。他は必要ない。
 肩と首を回してほぐし、レラプスは言う。
「さてと、適当にまじないでもかけて、店長のトコ行くかね」
「使うのか」
「うん、ちょっとは役立つかもしれないしさ」
 イルジィンの問い掛けにレラプスは頷く。意識は失っていないながらも、体の痛みで動けずにいる二人に歩み寄りながら。レラプスはベルトに括りつけていた小瓶を持った。小瓶の中には透明な液体が波を立てていた。一見水と変わりない。
「マルコビッチ、マルコビッチ二号、っと」
 命名した名を口にしながら、レラプスが液体をかけていく。倒れた二人の頭から頬へ、頬から顎へ、顎から地へかけて、這うように液体が伝う。ゆるゆる、ゆるゆる、と液体は大地へ手を広げた。
 傍らで屈みこんだレラプスの指が、つぅ、と彼等の額をなぞる。苦悶と苦味の表情の中、微かな恐怖を見せた彼等の顔に、ふ、と笑いかけてみせる。
「死ぬようなもんじゃないから、安心しなよ」
 小さく、口の中のみで呟く呪。呼応するように、二人の瞼は落ちた。死んではいない。眠っただけだ。それは呪いの成功を意味する。
「さぁて、この罠に獲物は落ちるかな?」
 レラプスは笑った。乾いたものになったことは自覚したが、喉の奥から笑いが込み上げてきた。
 踵を返し歩き出すレラプスの後に、少女を担いだイルジィンが続く。
 二人と、担がれた一人の背後には、地に横たわった剣が無機質な光を煌かせていた。