右手にスティレット。左手にソードブレイカー。レラプスは二本の短剣を手に、悠々とこの場に集う面子を見渡した。
 動揺したのは盗賊達だ。まぁ、この世界で空飛ぶナイフの軍政を前に気後れせず、しかも剣を抜く奴なんて少ないに違いない。だが、こっちは長年”魔女”を相手にしてきたのだ。この程度の魔術ならば見慣れている。
 空中を漂うナイフの群れの中、スペシャルハゲ頭を囲むように立つ人の壁。邪魔だな、と思う。獲物の周囲を飛び回る蝿を殺さないよう闘うのは難しい。我に返れば、これで取り返しが付いたら物凄く怖い状態が殆どだ。イルジィンが居れば、”魔女”以外のギャラリーを片付けてくれるから、心置きなく”魔女”のみに集中できるのだが。
 レラプスは気だるげに独りごちる。
「あーぁー……しょうがない、散らすかぁ」
 ヒトを殺したいわけではないから。
 ――多分。
 くん、と足を折り曲げ腰を落とす。襟がふわりと浮いた。屈めた全身をバネに跳ね上がり、レラプスは一瞬にして間合いを詰める。狙ったのは向かって左から三番目の、幅の広い剣を構えた男。
 理由は簡単。一番前に居たからだ。単純に手下Aと胸中で命名して、レラプスは手下Aの肩口に柄頭を叩きつけながら、踵を引っ掛けて手前に払う。幅の広い剣は重い。振り払う為には、重心を低くする必要がある。剣の重さに耐えるよう屈められた足を払ってしまえば、転倒させるのは簡単だった。
 重心を外され、あっさりとバランスを崩して転倒する手下Aの腹に、レラプスの振り上げられた靴裏が落ちる。
「かはっ……」
 肺から圧迫された空気の漏れる音に、肉に吸収されて床へ伝わり低く轟く音。
 レラプスは、眉一つ動かさずに痙攣する手下Aを見下ろした。
「がっ、ハッ……ぁっ、イイッ!」
 見下ろした先の手下Aは身をくねらせながら悶えていた。
「いやぁぁぁぁ! この人、幸せそうに悶えてるー!!」
 レラプスの悲鳴とも取れる叫びに、二人の手下が、歯を食いしばりながら拳を握る。
「っく、アイツ。一人だけ、世界中の幸せを独り占めしたような顔しやがって!」
「天性のMだからな、アイツは……それでも、独り占めは許しがたい! 俺にも分けるべきだろう。その痛みと快感を……!!」
 ここは羨ましがるところじゃないはずだ。
 何故だろう、倒した僕に、敗北感。この盗賊達は全てMだとでも言うのか。これは手下Mで、あっちは手下M2で、あっちのあっちは手下M2−2で、スペシャルハゲ頭は実はスペシャルハゲSだったりするのか。
「考えちゃ駄目だ、引いちゃ駄目だ、責めちゃ駄目だ僕ー!! 世の中は広く、その広い世の中には多彩な趣味と感性を持つ人がいるんだからー!!」
 恍惚な顔で息を荒くしているイヤンな感じの元手下A現在手下Mから、レラプスは素早く足を退かせた。本当に全員Mだったら、どうしよう。蹴ったり倒したりする先々で、ハァハァ、とか、イイッ、とか響いてきたら嫌だ。
 葛藤するレラプスの前に、刃のみで構成された鋼の波が上がった。雪崩落ちてくる鋼の波から飲み込まれる前に、レラプスは背後へ飛び退く。連続して床へ突き立つナイフの群れから逃れ、空中で弧を描いた身体が、燭台を蹴散らしながらテーブルへ着地した。一泊遅れて、跳躍の風に流された髪が空気を孕んで背後に靡く。
 一段高い足場の上から、レラプスは仕掛けてきたスペシャルハゲ頭――もとい、盗賊頭に薄笑いを向けた。
「焦らずに待ってなよ。周りの蝿を片付けてから相手してあげるからさ」
 レラプスは盗賊頭に浮かんだ恐怖の色を見る。開かれた瞳にちらつく、得体の知れないものに対しての畏怖の感情。彼は自分を恐れている。
 盗賊頭は喉をひくつかせ、上ずった掠れ声で呟いた。
「全員、退け」
 ぴく、と盗賊頭の傍らに居た、間延び男の眉が吊り上がった。
「かしらぁ、俺ぁ、残りやすぜー。頭一人残してなんぞ行けませんやぁ……」
 言葉途中に影が閃く。間延び男がそれを認識し、影が誰であるか、何をしようとしていたのか理解する頃には、レラプスの膝が間延び男の鳩尾に深く食い込んでいた。間延び男のの身体がくの字に折り曲がり、放り投げられた人形のように、何の抵抗も無く壁に叩きつけられて崩れ落ちた。
 膝を打ち付けた張本人は、今の今まで間延び男が居た場所に、あくまで緩やかに優雅に立っていた。
「さっきのお返しにしちゃ、軽いかな?」
 靡く黒の髪。黒の黒。
 漆黒と形容するのも生ぬるい純黒の奥で、酷薄に嗤う金の瞳。
 盗賊頭から、裂帛の命が下る。
「行けぇぇぇぇ!!」
 迸る声が魔術になる。意思を受けた屋敷が大きく震え、脱出口である扉が裂けんばかりに開いた。床に張り付いていた絨毯が起きると、手下達ばかりでなく、使用人達をも、外へ弾き出す。
 物が散乱する食堂に、向き合う二人のみが残された。
「一人残って手下を逃がすってか。懸命だね。僕の狙いは君だけだから」
 事実だ。ただの人間にあのまま居座られると困る。だから、残るという言葉が広がる前に、一番最初の人間を叩いた。頭を潰せば人は脆い。つられることもない。
「はッ……勘違いすんじゃァねェーよ。逃がしたんじゃねェ。追い出したんだ……足手纏いはいらねェからな」
 静かに静かに息を吐いて、レラプスは笑う。そんなに怯えて。足を震わせ、怖気を耐えて、虚勢を張るのか。魔術を使えば、手下を犠牲にすれば、ここから逃げる程度は可能だったろうに。
「“魔女”の癖に泣かせるね」
「テメェも“魔女”の癖によく言うなァ?」
「僕、”魔女狩り”だもん」
 レラプスは肩を竦めた。
 会話が止まる。
 レラプスが低く腰を落とす。盗賊頭が手を振り上げる。
 合図は無くとも、時は動く。
 盗賊頭に導かれ、流星のように舞う刃が、四方八方からレラプスを襲った。右から先陣を切って流れる剣。左手からは視界を覆うほどのナイフ。真正面には、あの手下Aの剣が待ち構えていた。散っている分、避けるのは難しい。そして、散らしたということは、防御が薄くなるということだ。退きはしない。突き進む。レラプスは避け切れないナイフを、両手の短剣で弾き返す。硬く、重い手応えを残して、ナイフは突き刺さる軌道から外れた。
 勢い其の侭に突き出されたレラプスの短剣は、盗賊頭の掲げたナイフに阻まれた。高い音が鼓膜を打つ。レラプスの剣戟は踊るようだ。盗賊頭は押されていた。
 弱いな。レラプスは思う。所詮は盗賊。”ニュオプレドデイ”の連中とは比べれば、この程度。
 短剣の切っ先が、盗賊頭の眉間を捕らえる。吹き出た血の色。

「――代々伝わりし秘儀、輝けよ太陽光線!!」
 その瞬間に光の満ちるハゲ頭。

「んな、ばかなぁぁあ!!」
 突いたレラプスの動きが鈍る。カーテンが全開だ。ハゲの如く艶やかな鏡やら、ハゲ並に輝く銀の皿やらが、太陽光を反射させて所構わずハゲに光を注ぎ、つるつると光沢のあるハゲが、網膜に突き刺さるような閃光を弾き出すハゲ。
 ちかちかと目が眩む。してやられた。防御を甘くして近づかせたのは、この為か。この破壊力は凄いぞ。至近距離花火なんて目じゃないぜ。
「くっ、負けるか!」
 レラプスは手前に浮いていた銀の皿を引っつかんだ。遮るように前へ突き出して、叫ぶ。
「くらえ!! 輝けよ太陽光線返し!!」
 しかし、簡単に反撃を許すほど、盗賊頭は甘くなかったのだ。

「――甘ェ! 輝けよ太陽光線返し破りィ!!」

 両の手が短剣で塞がっていたレラプスである。魔術に抗えるはずもなく、やすやすと銀の皿は手の中から剥ぎ取られ、飛んで言ってしまう。遮るものは何もなく、間近での直上型閃光弾。
 畜生め、と小さく毒づいて眩む視界の中、レラプスは突破口を探した。目を細めた先にあるものは。
「でりゃぁっ!!」
 レラプスは足でテーブルを蹴り上げる。そそり立つテーブル。光を遮るための臨時防護壁だ。更に、立ち上がるテーブルに鋭い膝の追随を加えた。テーブルに無数の皹が一度に刻まれる。安物ではないらしく、砕け散るということはなかった。叩きつけられた膝の勢いを乗せて、長く厚いテーブルが光の化身となった盗賊頭へと突進する。
 テーブルは盗賊頭を押し潰さずに傾いだ状態のままで停止した。盗賊頭の魔術だろう。元より、テーブルで仕留められるなんて思っていない。そんなゴキブリじゃあるまいし。勝負はここから。
 風のように短剣が閃く。
 傾いだテーブルごと、レラプスは盗賊頭の腹を貫いていた。テーブルの皹を広げ、穴を開き、滑り込んだ短剣が深々と肉を抉っていた。
「…………がっ……げほっ、ごぽっ」
 盗賊頭の咳に水の絡む音がする。人の肉に突き立った異物を握るレラプスは、咳き込む肺の伸縮、引き攣った筋肉の痙攣すら感じ取れた。

「その手の魔術は、多くの物を動かせば動かすほど、個々の威力が弱くなるんだよ。集中するために、自分はあまり動けないし。自動追跡でもないから、死角に入られると動きも鈍る。……こんな風に、魔術を使っている最中、物陰から攻撃を受けたら、ね?」
 ナイフの流星は一つ残らず地へ落ちる。