喧騒を遥か遠くに突き放した店内で、カウンター越しにグラスを磨く店長と向かい合い、椅子に座ったレラプスは、頬杖を付きながら悩ましげな息を吐いた。
 どうにも落ち着かない。胸がざわめく。
 レラプスは頬杖を折り、カウンターへ頬を付けた。磨かれた表面にぼやけた輪郭が映りこむ。その顔は、眉根を下げて、少しばかり困ったような、不安げな、情けない顔をしていた。溜息を吐いてテーブルに映った自分の顔から視線を逸らし、レラプスは足掛けから外した足をぶらぶらと揺らす。
「まぁまぁ、落ち着いて下され」
「んー」
 店長に窘められても返すのは生返事。レラプスの心はこれから起きるであろう出来事に占拠されている。
 対面。もうすぐ、あの少女とご対面なのだ。
 時刻は既に昼。スペシャルハゲな魔女を狩ってから一晩を明かした。今は、イルジィンに連れられて、階段から降りてくるであろう少女を待っている。少女は一体どんな顔をするだろう。
 いきなり泣き出されるんじゃないかと思うと気が重い。それとも、こちらを見もしないだろうか。もしかしたら、会おうとすらしないかもしれない。時間が掛かっているのは、会いたくないと駄々を捏ねているからではないだろうか。不穏な可能性が幾つも頭に浮かぶ。
 できることなら会わないままが良かったのだが、客としてではなく、住人としてこの宿に招くのだ。名やら姿やら把握しておかなければならない。仲良くする、とも言ってしまったわけだし。
「あーあ、仲良くするってのがこんなに面倒だとは思わなかったなぁ……」
 仲良くするというのは一方的ではいけない。一方方向では支配だ。押し付けだ。所有ではない。あの少女とイルや店長は違う。同じに扱っては壊れてしまう。
 子供は嫌いなんだ。この言葉を呟くのも幾度目か。嫌いなんだ。見ると苛立ってくるから。意味もなく。

 ――だから、

 再び思い返す、懐かしい声。
 人を嫌いになるのは、自分の嫌いな部分を相手が持っている所為だと。
 あの人はそう言いながらも、穏やかに笑っていた。

 ――だから、嫌いになることは仕方が無いことだと思うの。でも、見捨てないであげてね。自分を見捨てるほど、悲しい事はないでしょう?

 救う可能性を、救われる可能性を、捨ててはならないと。
「ぁー……」
 レラプスは小さく呻き声を上げる。治りかけた古傷が痛んだ。この言葉を信じるなら、自分はまだまだ餓鬼なのだ。
 顔を起こすと、覗き込むような店長の視線とかちあう。苦笑しながら何でもないよ、と手を振った。
「それよりさ、店長。聞き忘れてたんだけど、店長の言ってた”魔女に関する有力な情報”って何?」
 追求される前に話題転換を計る。聞きたかったことでもある。少女の目覚めで聞き損ねていたが、耳寄りな情報は早めに得ておく必要があった。
 店長はそれ以上聞くことなく、話題転換に乗ってくれた。
「そういえば、伝え損ねておりましたなぁ。先程レラプス殿が訪れていた街――ユフルフスに、奇怪な術を使う盗賊が現れたそうです」
 聞いたことのある話だ。
「彼を怒らせると、ありとあらゆる刃物は彼の味方になり、一面、刃の海となるのだと。彼の意のままに揺れ動く刃の波は、相手を飲み込み、串刺しにしてしまうのだそうで」
 身に覚えのある話だ。
「その盗賊の頭は、頭上から太陽の如き光線を弾き出し焼き尽くすと聞きます。彼の頭を見てはいけません。見ただけで、灰も残さず炎上してしまいます。故に、彼の周りでは皆目を背け、決して視線を上げぬそうです……嗚呼、真に恐ろしい話」
 それは誇張されすぎだ。
 物を操作する魔術よりも、輝く頭が恐ろしいと伝わってるよ。寧ろ、頭の方が魔術として語られてるよ。魔術が霞んでるよ。ここに一つの伝説が生まれた。恐ろしい頭。
 これで終わりかと思いきや、魔術の報告だけでは終わらず、店長の話には続きがあった。
「しかし、その恐ろしき盗賊の頭にも弱点がありましてなぁ……意外にも普通なことに、蛇が大の苦手なのだとか。蛇と目が合うと、蛇に睨まれた蛙のように足が竦んでしまうのだそうで」
「マジで?!」
 レラプスは椅子を押し倒しながら立ち上がった。けたたましい音を背後に聞きつつ、カウンターからずずいと身を乗り出す。店長は神妙な顔で頷いた。
「ええ、確かな筋の情報です」
 の、割には局所主に頭の情報が誇張されていたが、まぁ、頭以外の術は正しかったので、悪くない情報筋だろう。あの後光を見れば、誰だって誤解もするだろうし。あの、”魔女”に、そんな弱点があった――かもしれなかった、のか。知っていれば、もっと容易く狩ることが出来ただろうか。
 レラプスはかくりと頭を下げて、溜息と共に言葉を綴る。
「遅いよ、店長……その”魔女”はもう狩って来たあとだよ。結構、苦労したのに……」
「何と、何時の間に」
 店長は目を丸くする。流石の店長も、この報告は予想外だったらしい。
 その問いに、レラプスはあからさまに視線を逸らし、押し倒した椅子を片付け始めた。
「あー、うん、街を散歩してたら、偶然にもばったり出会っちゃってさ。そのまま、ね」
 自棄食いしてた最中に”魔女”がぶっ飛ばしたマッチョメンに跳ね潰されて出会いました、なんて言いたくない。確率的には、転校初日にパンを加えて走っていたら曲がり角でイケメンにぶつかる幸運の出会いと同じぐらいの癖に、何て人に言いたくない出会いなんだ。
 レラプスの報告に、店長は肩を落とし、緩く首を振った。
「嗚呼、何たること……既に、狩られてしまった後でしたか。申し訳ありませぬ、私が至らぬばかりに。……レラプス殿の負担を軽減すべく、買収、恐喝、色仕掛け駆使して調査を進め、このようなものすら、用意しておりましたのに……」
 個人的には色仕掛けがとっても気になる。
 店長はカウンターから抜け出て厨房の隣に位置する扉のノブへ手を掛けた。この扉は、普段なら食料庫に繋がっているはずだ。果物とか、野菜とか、穀物とか、魚も肉も、全部同じ倉庫へ収納しているのに、温度もしっかり、管理もしっかりされているという摩訶不思議倉庫。まぁ、店長の力であることは間違いない。
 しかし、いくら便利な倉庫だからって、生きてコケコケ鳴いてる鳥と、捌かれて釣り下がった鳥を一緒に貯蔵しないで欲しい。元気な鶏の残酷な未来を目の当たりにするんだよ。ホラーなんだよ。
 カチャリ、ノブを回す店長の指。
 嫌な予感がした。
 開け放たれた扉の向こう。暗がりに剥き出しの目玉が無数に光る。
 予感は的中すると確信した。
「ぎょああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ
 確信するのが遅すぎたようだ。
 扉から流れ出た蛇の団体様ご一行に、レラプスは食堂の隅まで押し流された。
食堂 IN 蛇の団体ご一行。その様は、卵の入れ過ぎにより、ご飯入り卵になってしまった溢れんばかりの卵かけご飯によく似ている。入れるものの量が過剰な例だ。
 ご飯入り卵のご飯の役目を担い、蛇塗れになっているレラプス。腕といい、腰といい、足といい、首にも顔にも、纏わりつかれている。蛇の海でレラプスはもがいた。
「にゅ、にゅるにゅるじゅらじゅらうねうねしっとりひんやり?! うわー! かーまーれーたぁぁぁぁ!! 待て、そこは急所付近! 危険、危ない! どいつだ! くっ、卑怯な、姿が見えない…! どれだ噛んだのは?!」
「大丈夫です。レラプス殿ならば、その程度の毒では死にません」
「ってことは、毒があるんだろうがー!!」
 身体に巻きつく蛇をひっぺがし、レラプスは安全なテーブルの上に避難する。
「なんなんだよ、この蛇は?!」
 大小様々多種多様の蛇達を指差して、レラプスは悲痛に叫ぶ。床一面、長いものが互いに巻きつき、上になり下になり、うねっている。なんて嫌な光景だ。
 店長は落ち着いたものだった。紳士な一礼をレラプスに向け、掌が隣を促す。
「”蛇の苦手な恐ろしい盗賊の頭の足を竦ませ隊”。リーダーは彼、ディービット・ランスフォード君」
 どうみても彼はアナコンダだった。
「爬虫類有鱗目ヘビ亜目ボア科オオアナコンダ」
「丁重にアマゾンへお帰り願いなさい」
「出身地アマゾン。食べ物は動物鳥ごくごく稀に人」
「二度と戻らないようにお帰り願いなさい」
 店長は、カウンターと同じぐらい長く、輪切りにしたらステーキになるんじゃないかと思えるほどぶっとい胴の蛇を、枯れ枝のごときしわしわな腕と手で持ち上げて頬に寄せた。
「牙に毒こそありませんが、強力な助っ蛇ですぞ?」
「もう必要ないから! もう狩っちゃったから! 皆さんにお帰り願いなさい!! 役立ちそうだからって何でもかんでも拾ってきちゃ駄目だろ! 許しませんよ!」
 びしっと、外を指差して、

「あ」

 半開きのレラプスの唇から間抜けに声が漏れる。指差した先に人影があった。
 階段の中腹にイルジィン。彼の前、手摺りに手を掛けたアルビノの少女が、赤い瞳をめいいっぱい広げて、レラプスを見ていた。
 唐突過ぎて、挨拶が頭の中から吹っ飛んだ。
 多分、全て、蛇の毒のせい。